日の丸醸造の歴史とこれから

元禄2年(1689)創業。
蔵名の「日の丸」は秋田藩主佐竹公の紋処が「五本骨の扇に日の丸」だったことに由来し、明治40年商標登録済の日本で唯一無二の酒銘です。

内蔵の建設当時は東北屈指の生産量を誇ったものの、大戦時の企業整備令により廃業を余儀なくされてしまいます。
戦後まもなく復興し、規模は縮小しましたが、その歴史はギリギリのところで継承することができました。

昭和56年には、NHKの朝の連続TV小説「まんさくの花」が秋田県横手市で放映されたのを機に、新たな銘柄である「まんさくの花」が誕生。
それまで主力商品だった「日の丸」の重みのある酒質とは異なり、「きれいで優しい酒質」を目指した当ブランドは、
現在でもなお珍しい、ひらがなの墨文字をラベルに採用。先駆的で極めて斬新なラベルは、現在では日の丸醸造の代表銘柄として定着しています。

まんさくの花は「挑戦」のお酒として、変わらぬおいしさを求める傍ら、多種多様な酒米や酵母の酒造りに挑戦し続けてきました。

まんさくの花は日本酒の愉しさを追究するブランドとして、これからも様々な商品にチャレンジしていきます。

内蔵の町に唯一残った酒蔵

江戸時代から始まり、流通の中心としてかつて県内随一の繁栄を極めた秋田県「増田町」。

町の発展が最盛期を迎えた明治から大正にかけて建築された、
各家の内部に立ち並ぶ豪華絢爛な「内蔵」は、増田町に住む商家の栄華の象徴でした。

当時、町には四件の酒蔵が建ち、町は光が消えないことから別名「蛍町」と呼ばれ、
夜まで酒を飲んで歌う人々で、活気にあふれかえっていたといいます。

時は昭和に移り、奥羽本線の全通、吉野鉱山の閉鎖など、徐々に時代の潮流から外れていった増田町。
そして勃発した第二次世界大戦により、輸出は止まり、人材は流出。
当時の栄華はすっかり影を潜め、閑散とした田舎町となってしまいました。

時は現在、増田町には新たな歴史が刻まれようとしています。

平成13年より内蔵の公開が始まり、住人が自ら生活する傍ら自宅内の内蔵を公開しています。
平成25年には国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、全国から観光客が訪れるようになりました。

町の人が代々守りぬいてきた内蔵によって、今、この町は再び活気を取り戻そうとしています。

当社はこれからも内蔵の町とともに生きていきます。

横手の地が生み出す清冽な水と良質の米

当社は横手盆地の東南に位置し、山紫水明、古来から良質の酒造好適米を産する穀倉地帯にあります。

挑戦に賛同する農家にも恵まれ、生産が難しいとされる亀の尾や美郷錦などを含む8種類の酒米を地元で契約栽培し、
様々な酒質のお酒造りに挑戦しています。(これとは別に県内で生産が不可能な酒米は他県の農家と契約栽培を行っております。)

一年の大半が雪のカーテンに包まれる清冽な自然環境下、
奥羽山脈栗駒山系の伏流水で県内屈指の良水を合計4基の井戸を利用して汲み上げています。

中軟水の柔らかい水質が、綺麗で優しい酒質の源です。

麹造りへのこだわり

当社の麹室は全国でも珍しい二階建ての麹室となっており、造るお酒に合わせて全部で4つの部屋に分かれています。

一番奥の部屋では蓋麹(ふたこうじ)という製法を現在でも継承しています。

蓋麹は蒸米を1kgずつ小分けにして管理する、最も丁寧な製麹方法と言われています。

お酒造りは菌との対話。全く同じ工程をたどっても、すべてが同じように育つとは限りません。

蓋麹は大変手間のかかる方法ですが、自分の子供と同じように、より細かく丁寧に育てることが良い酒を生むと考え、今に継承しています。

低温瓶詰方式の採用

完成したお酒は冷温のまま瓶詰・打栓を行い、火入れ(殺菌)と急冷をパストライザーやパストクーラーの専用設備で行います。

火入れには蛇管・瓶燗火入れと呼ばれる伝統の手法がありますが、香りが飛びやすい、温度が安定しないなどの弱点があります。

この方法は通常より何十倍ものコストがかかりますが、最適の瓶詰方法と考え、導入しております。

低温瓶貯蔵へのこだわり

お酒の完成後には最大15万本を収容可能な冷蔵庫で低温瓶貯蔵を行います。

タンク貯蔵に比べて手間暇がかかりますが、お酒の空気に触れる面積が小さいことや、貯蔵温度の安定など、最良の貯蔵方法と考え実行しております。

また、低温瓶貯蔵を行うことで、通常二回以上行う火入れを最小限の一回に抑えた、一度火入れのお酒の発売が可能になります。
前述の低温瓶詰方式と合わせることで、蔵人が精魂込めて醸したお酒の香りを損なわずにそのままお届けできると考えています。